●クスコの概況
クスコ(Cusco;Qusqu)はペルーの南東クスコ県の県名および県都の地名。アンデス山脈中の標高3600mにある。現在の人口はおよそ30万人。クスコとは、ケチュア語(Quechua)で、「へそ」を意味し、タワンティン・スウユ(Tawantinsuyu,インカ帝国の正式名称)の首都であり、文化の中心であった。現在でもペルーで有数の都市の一つである。クスコの町並みはピューマをかたどったものとの説があるが、証明はされていない。16世紀(1532年)に、スペインの征服者フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)によって帝国が終わりを告げた後、スペイン植民者が都市を侵略した。植民地化の結果は都市の建築を通してみえる。スペインの建物はインカによって建設された巨大な石の壁の上に作られている。これらインカ時代の石積みは、石と石のあいだに「カミソリの刃一枚通さない」といわれる巧緻さで有名である。また、周囲にはサクサイワマン遺跡・ケンコー遺跡など、数多くの遺跡が点在する。1983年、世界遺産(文化遺産)に登録される。現在は、マチュ・ピチュ遺跡との間、およびチチカカ湖のほとりのプーノとの間にペルー南部鉄道が走っているほか、首都リマからは空路で接続されている。バスも各地との間に運行されているが、道が悪く、特に雨期は空路・鉄道と比べて確実ではない。
●クスコのみどころ
アルマス広場 (Plaza de Armas)
インカ時代には戦士の広場として毎年インティライミ祭が行われ、まさにクスコの歴史の舞台であり続けた広場。後に征服者ピサロがクスコ占領の宣言をしたのもこの広場だった。その後周囲にインカ建築の一部または土台を利用してコロニアル建築が建てられ、この町独特の美しさと雰囲気を漂わせている。世界遺産の旧市街地の中心であり、現在もクスコ観光のメインとなっている。スペイン風の建物が並んでいるが、欧州のものとは何となく雰囲気が異なります。実際にここに立つとインカ帝国の繁栄が伝わって来る気がします。現在は世界的に有名な観光名所となっており、市民よりはむしろ観光客、特に欧米の人の姿が目立ちます。
カテドラル (Catedral)
コリカンチャ神殿の土台の上に建設されたクスコのカテドラルです。インカ人の強制改宗を目的として作られた壮麗な建物で、1559年から1654年の95年間をかけて建築されました。鐘楼には高さ2.15m、重さ5980kgの「マリア・アンゴラの鐘」が設置されています。現在はヒビが入ったため特別な機会にしかならされる事がありませんが、この鐘の音は20マイル先まで聞こえると言われています。もう一つ、この教会で有名なものに黒いイエズス像があります。これは長年のロウソクからの煤が十字架にかけられたイエズス像を黒くさせたもので、教会改修工事の時にも洗われることなく「ブラック・ジーザス」の名で親しまれています。いまでは年に一度、10月の奇跡の行列の時に表に出されて市民とともに街を練り歩きます。
サント・ドミンゴ教会 (太陽の神殿、Iglesia de Santo Domingo)
インカ帝国時代、政治と宗教の中心である太陽の神殿:コリカンチャがあった場所です。当時この神殿には黄金が満ち光り輝いていました。スペイン人は黄金を全て持ち去った後、石積土台だけを残し教会を建てました。クスコに大地震があったとき上部の教会は崩れ落ちましたが、石積土台はビクともしなかったという逸話が残っています。インカの石組技術をものがっています。教会の所々で美しい石組みを見ることが出来ます。教会の裏手では、現在でも発掘・復元作業が行われています。Qorikancha(コリカンチャ)=Iglesia de Santo Domingo(サントドミンゴ教会)Qoriとは黄金を意味し、Kanchaは広場または場所を意味します。つまり黄金の場所。ここはインカ時代の人々にとって最も神聖な場所でした。
ラ・コンパーニャ・ヘスス教会 (Igresia la Compania de Jesus)
イエズス会が1571年に建てたクスコで最も優美な教会です。当時、カテドラルよりも豪華な教会の建設は認められておらず、クスコの大司教は建設に反対をしましたが、イエズス会はローマ法王に建設の許可を取っている間にカテドラルのすぐ横、インカの第11代皇帝ワイナ・カパックの神殿跡に完成させました。コンパニーア・デ・ヘススとは、日本人にも馴染み深いイエズス会のスペイン語名。ペルーではサン・フランシスコ教会(フランチェスコ会)、サント・ドミンゴ教会(ドミニコ会)、そして、このコンパニーア・デ・ヘスス教会(イエズス会)など、修道会にちなんだ名称を持った教会を良く見かける。コンキスタドールとともに南米に渡った修道士たちの活動拠点として、それぞれの流派に属する教会が築かれた。
12角の石(La Piedra de Los Doce Augulos)
クスコには大きさ・形が異なる切り石が寸分の狂いもなく積み上げられたインカ時代の石組みが残っています。その中で特に驚異的な12の角を持つ巨石。すき間なくぴったりと収められ接ぎ目に薄刃も通らないほどです。アルマス広場のカテドラルから北東方向に直線距離で200mほど行ったところの狭い路地(アトゥン・ルミヨク通り)にあります。接合剤を一切使わず、寸分の隙なく積み上げられカミソリの刃一枚通さないと言われるインカの石材建築の中で、その技術の高さを最も顕著に表している石壁のひとつです。12角に含まれた意味は諸説ありますが(1年の月の数である、あるいは王の一族の数である等)いまだに謎に包まれています。
サクサイワマン城塞 (La Fortaleza de Sacsayhuaman)
赤屋根のクスコ市街を見下す丘の上に巨石で構築された城塞跡です。3層からなる巨石層は22回のジグザグ(Zigzag)を描きながら360mも続き、中には推定360トンの巨石もあります。インカ帝国と征服者の最初の戦場になった所です。1536年スペインとのクスコ争奪戦の際のインカ軍の拠点となりましたが、夜は闘わないインカ軍の隙を付いたスペイン軍が砦を制圧しました。その後、スペイン軍はこの施設の円塔などを破壊しましたが、巧妙に組み込まれた石の土台だけは崩せず、今に残ります。現在ではこの遺跡の前の広場で、毎年6月24日にインティ・ライミ(太陽の祭りーインカの成人式でもある)が行われ、多くの観光客で賑わいます。
タンボ・マチャイ沐浴場 (Tambo Machay)
クスコ近郊のウルバンバ渓谷にあるインカ時代の沐浴場。インカの風呂、とも呼ばれ、高位の政治家やエリートのスパ・リゾートとして使われたと見られている遺跡です。小規模な谷の一方の斜面に石組みによって建設された沐浴場、もう一方の斜面に見張り台が残る。沐浴場は4段に分かれた階段状の構造で、下部の低い2段がプレ・インカ時代の遺構である。それよりも明らかに洗練された石組みがはっきり見られる上部の2段がインカ時代のもの。下から3段目の壁面には、インカ独特に技法によって、クスコの方向を指す皇帝の右腕がかたどられた石組みが見られる。同じく3段目の向かって右側には、皇帝の脱衣場とされるくぼみがある。沐浴場の名前のとおり絶えることの無く清水が湧き出しているが、水源については未だ解明されていない。
プカプカラ遺跡 (Puca Pucara)
町から6kmほどの場所に位置します。段々畑や見張り台、階段を備えた要塞でクスコ郊外の押さえの役割を果たしていました。プカはケチュア語で『赤』をさす言葉で赤色の石が使われている遺跡。ですが、現在では石の赤色はほとんど残っておらず、夕焼け時に赤く見える程度です。見晴らしが良く、タンボ・マチャイで沐浴をするインカ王の『見張り』の役割を担っていたと考えられています。
ケンコー遺跡 (Quengo)
ケンコーとはジグザグの意味で、岩の上にジグザグの溝が掘られていることからこの遺跡の名が付けられた。ここにはがミイラを安置した石の台がある。 岩の裏側は礼拝広場で、かってはピューマの像があったが今は頭部が破壊されてしまっている。サクサイワマンから歩いて約15分程の所にある遺跡です。こちらはサクサイワマンのように石を組んだものではなく、石を削りだして作られています。リャマの生け贄を捧げる祭壇なども残っていて、宗教的儀式に使われていた事が伺われます。