●マチュピチュの概況
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)は、現地語では「老いた峰」の意味で、よく保存されたインカの遺跡である。ペルーのウルバンバ谷 (Urubamba valley) に沿う高い山の尾根(標高約6,750ft、2,057m)に位置し、山裾からはその存在を確認できない。しばしば《インカの失われた都市》あるいは《空中の楼閣》と呼ばれる。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13Km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。マチュ・ピチュに関する多くの謎が未だに解明されていない。熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。行政上クスコと同じ地域に属している。現在ペルー国内では10ヶ所あるユネスコの世界遺産のうちでは最初にクスコと同時(1983年)に指定された。南緯13度で、10月から4月までの雨季と乾季に分かれる。未だに解明されていない多くの謎がある遺跡でもある。2007年7月、新・世界七不思議の1つに選ばれた。この都市は通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地としての冬の都(離宮)や、田舎の別荘といった種類のものであった。遺跡には大きな宮殿や寺院が王宮の周囲にあり、そこでの生活を支える職員の住居もある。マチュ・ピチュには最大でも一時に約750名の住民しかいなかったと推定され、雨季や王族が不在の時の住民は、ほんの一握りであったと推定されている。この都市はインカの王パチャクティ(Pachacuti)の時代の1440年頃に建設が着手され、1532年にスペイン人により征服されるまでの約80年間、人々の生活が続いていた。
●マチュピチュのみどころ
高山列車・ビスタドーム (Vista Dome)
マチュピチュへ行くには、ペルーレイル社の運行する列車が唯一の手段となっている。中で最もポピュラーな車両「ビスタドーム」は天井がガラス張りで移動中もアンデスの広大な景色が楽しめるよう設計され、途中スナックやドリンクのサービスもある。列車は毎日運行となる(ビスタドーム2は臨時便、ハイラムビンガムは日曜日運休となるので注意)マチュピチュ行きの列車には3つのクラスがあり、上級クラスから順に「ハイラム・ビンガム・トレイン」「ビスタドーム」「バックパッカー」と呼ばれています。バックパッカー号は機関車牽引の客車列車で、車内はボックスシートが並んでいます。「行きと帰りは同名の列車に乗らなければならない」という規則があり、行きが「ビスタドーム1」であれば帰りも「ビスタドーム1」にしか乗れません。帰りの車内では、係員がモデルに扮したファッションショーを開催。単なるアトラクションではなく、アルパカという動物の毛を使ったセーターなどの製品の即売会となっています。もの自体は品質は良いですが、値段のほうもかなり高くなっています。
マチュピチュ居住区とワイナピチュ(Machu Picchu y Huayna Picchu)
世界遺産として有名なマチュピチュ遺跡の写真はいつもこの見張り小屋付近から撮った写真が使われている。マチュピチュとは原住民の言葉ケッチュアで「古い峰」という意味で、手前に見える遺跡をマチュピチュといい、後ろの山はワイナピチュという。ワイナピチュは「若い峰」という意味である。季節によっては雲がかかり、幻想的かつ神秘的なな風景をかもし出す時もある。最初に見張り小屋まで登り、居住区に向かって下りながら遺跡を見る。 現在発掘された部屋は216もある。主な施設を羅列してみる。太陽の神殿・王女の宮殿・聖職者の水飲み場・コンドルの神殿(牢獄)・生け贄の台・主神殿・3つの窓の神殿・インティワタナ・神官の館・石切場、大広場・中心の広場など。これ以外に、貴族の居住区・技術者の居住区。
段々畑と見張り小屋 (Campos Colgantes)
遺跡の入口から歩いて数分で見張り小屋に到着する。この見張り小屋からマチュピチュ全体像を見下ろし、居住区の位置を確かめることが出来る。マチュピチュの景色を堪能した後、段々畑の歩道を歩いて神殿や居住区を見て回り、下から見上げると見張り小屋までの段々畑は見事に積み上げられた石組みとなっている。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。段々畑では、今は何も作っていないが、当時はジャガイモ、トウモロコシ、クコの葉を作っていたようだ。ジャガイモやトウモロコシは、アンデスが原産地。スペイン人を通して、世界中に広まった食べ物だ。段々畑は高低差によって気温がことなる為、作る作物を変えていたようだ。また東側斜面に段々畑が出来たのは、太陽の熱をより多く受ける為で、日中の太陽の熱で石が温まり、夜間は温室のような温かさを保ったようだ、
生贄の台 (Tabla de Sacrificio)
遺跡の入り口から入って左手の段々畑の上に、巨大で平面な石がある。 葬儀用の石台と伝えられており、死者を埋葬する前に、この石の上で最後の祈りを奉げたのである。この石の後部に大きな輪が付けられているので、一説によると、ここに死骸をくくりつけ、神の鳥と信仰するコンドルに食わせたのであろうとも言われている。この石の表面は入念に作られていて、側面には神官だけが登る段が刻まれている。
見張り小屋の近くにある生贄の台。生贄となるリャマを解体し、神の使いであるコンドルに捧げる儀式が行われたという。最近の調査では人間を生贄にしたということが分かっている。大空を翔るコンドルが生贄の魂を天高く持ち去り、魂を神に捧げることによって雨乞いや作物の豊作を祈る儀式をしたのではないかという。
マチュピチュ石切場 作業中の石 (Zona de las Canteras)
大きな岩が雑然と並んでいる石切場がある。神殿や住居あるいは畑の石組などに利用する石を切り出したと考えられる。石の切り方は、熱した岩にくさびを打ち、そこに水を流し込むことで、岩が脈に沿って割れる。石切場にくさびを打った岩があるが、岩の切り方を示している。インティワタナ付近から石切り場を見る太陽の門を再びくぐり、まっすぐに進むと、大きな石が乱雑に有。マチュピチュの中でも、最も不規則な場所。マチュピチュでは昼と夜の気温差が大きく、石を切り出す時には水を入れ、氷の膨張力によって石を切断したという説も有。この石を何処で切り出し、どの様にして運んだのか、それともその場に元からあった石なのかは謎。石切り場には、楔の跡が残る石も有。精密な石積みがどのように造られたのかは謎のまま。

マチュピチュ王女の宮殿・聖職者の住居 (Palacio de la Princesa Machu Picchu)
この居住区は石組みもしっかりしており、王女や聖職者の住居跡であったと考えられている。それぞれの土台の上に茅葺の屋根をかけ、住居として利用していた。聖職者の居住区は先ほど歩いた太陽の神殿近くにあり、こちらは貴族、技術者、庶民の居住区となる。即ち、太陽の神殿~インティワタナ一帯が“聖”のエリアだとすれば、こちらは“俗”のエリアということになる。パチャママ神殿から順に貴族→技術者→庶民の居住区と辿ったが、インカ伝統の石組みの壁で囲まれた家の規模が次第に小さくなるのが分かったりして面白い。ここに残る建物は大半、屋根が無いのである。一部、藁ぶきの屋根が再現されている建物が農地管理人住居跡や太陽の神殿近辺にあるものの、特にこの居住区では全てが筒抜けになっている。
マチュピチュ貴族の住居跡 (Vivienda dos Nobles de Machu Picchu)
貴族の住居跡と言われるこの遺跡はしっかりした造りとなっており、壁に空いている穴に木材を通して屋根を葺いたと考えられる。他の住居と比べてみてもやや大きめであることから貴族の住居跡と言われている。インティワタナから大広場を挟んで反対側の区域は、貴族の居住区と呼ばれて、より高い所に、高い階層の人々が住んでいたといわれています。
太陽神殿 (Templo del Sol)
美しい曲線で造られたこの建造物は、クスコにあった太陽の神殿(現在はサント・ドミンゴ教会になっている)とよく似た造りになっていることから、「太陽の神殿」と呼ばれている。この「太陽の神殿」に対して「月の神殿」はワイナピチュの裏側に造られている。太陽神殿の左後方に見える山がプトゥクシ山で、なかなか印象に残る山です。太陽神殿はマチュピチュで唯一弓形(半円形)を描く建造物です。 太陽神殿には窓がふたつあり、ちょうど真正面に見える東の窓からは冬至の日の朝、太陽の光がぴったり入り込みます。ここからだと見えにくい南側(右側)の窓からは夏至の日の朝、太陽の光がぴったり入り込むように造られています
陵墓 (Tumbas)
太陽の神殿の真下にある陵墓。不等辺四辺形に並ぶ墓は、手前の階段が下から過去・現在・未来をあらわすという。ここは王族のミイラを安置していたといわれている。ここは先に少し上の方から眺めた太陽神殿の真下です。太陽神殿の下には自然の洞窟があり、それを利用して造られています。内部には3段の階段や台形の飾り棚があるようです。 ハイラム・ビンガムが陵墓と考えたので、このような名前がついているようですが、ホントはどうだったのかも確定はできていないようです。
中央神殿 (Centro de la Plaza Sagrada)
正面の礎石におよそ5mほどの巨石を用いていることから、本神殿と呼ばれているが、使用目的については推測の域を出ない。 歪んで見えるのは地震による地盤の歪みであるとか。この神殿の下にも石組みがあり、インカ以前の聖地だった可能性がある。いずれにせよ、建物事態が未完成であり、これからの解明が望まれる。インカの神話で世界を創造したビラコチャ神のために建てられた神殿です。三方に壁があって、南側が開かれ、前の広場に面しています。左右の壁には5個ずつ、正面に7つ、合計17個の台形のニッチ(飾り棚)があります。前の広場は「神聖な広場」と呼ばれています。奥にある岩石はテーブルか祭壇として使用されたと思われます。奥の壁がゆがんでいるのは地震のためだと考えられています。
インティワタナ (Intiwatana)
マチュピチュ遺跡で最も注目すべきはインティワタナ(太陽をつなぎ留める柱)と呼ばれる石である。インカの人々は太陽が軌道を外れないよう神に祈る儀式で,礼拝石として利用してと言われている。彼らの脳裏には,遠い祖先が体験した大惨事の際の潜在的記憶が「天体の軌道変化=大災害発生」となって残っていたのだろうか。再び太陽が軌道をはずれ大惨事が起きないように毎年,冬至の日には,石柱の真上に来た太陽をつなぎ留めようと石柱に紐をかける儀式を行っていたという説もある。インティワタナは日時計としても使用されていたという説もあり真実は謎である。花崗岩の巨石を削ったインティワタナは全高1.8m。真ん中の突起は、角柱の形状で高さが36cm、それぞれの角が東西南北を向いています。天体観測用、日時計、礼拝用などの説が有。マチュピチュの中でも小高い場所で、景色も良好。インティワタナからウルバンバ川を見ると、かなりの断崖絶壁につくられた段々畑に驚き、急な斜面と高さから、足がすくみます。
三つの窓の神殿 Templo de Las Tres Ventanas)
3つの窓の神殿は3つの窓からは朝日が差し込むように設計され、天上の世界、地上の世界、地下の世界を表している。マチュピチュの発見者ハイラム・ビンガムは、その著書で「3つの窓の神殿」について、興奮しながら、以下のように記しています。 「主神殿は南向きになっていて、小さな広場、あるいは中庭を見下ろす位置にあった。広場の東側には、もうひとつ奇妙な建物が立っていた。それは神殿の遺跡だった。日が昇る側の谷に向かって大きな窓が3つ並んでいる。その形は、主神殿と同様に、インカ遺跡のなかでも独特なものだった。現物も、その元になった着想も他に比べられるものがない。普段使うにはどう見ても大きすぎる、その巨大な3つの窓は、丹精込めて仕上げられていた。特別な意味を持つ祭祀用の建物であることは間違いない。私の知る限り、同じような「3つの窓と微妙な調和の取れた切石の壁」とで人目を引く建物は、ペルーのどこを探しても存在しない。」
マチュピチュ天体観測に使用した水鏡の間 (Espejo de Agua donde se Observa el Dios Sol)
工業地区と呼ばれる技術者や一般庶民の住居跡のところに天体観測に使用したという水鏡の間がある。夏至と冬至の太陽の光がこの水鏡に差し込み、天体観測に利用したと言われている。またこの水鏡を石臼とすると、土器の破片が見つかったことから一説には陶器の製造工場がここにあったとも言われている。技術者の居住区には、マチュピチュの発見者であるハイラム・ビンガムを連れていた少年が石臼として使用していたという直径60cmほどのまん丸の石があり、さらに奥には3つの入り口の家のある貴族の居住区がある。石でできた家々の跡には窓もあり、先のとがった壁も、でっぱりもそのままに残されている。
水鏡または石臼 (Espejo de Agua)
天体観測用の水鏡という説と単なる石臼という説とが混在するが本当の目的は解明されていない。夏至や冬至の太陽の光がこの水鏡に当たるように出来ていることから天体観測用ではないかという説が有力なようである。ハイラム・ビンガムが少年に連れられここにやってきたとき、子どもが石臼だと説明したようです。しかし、その後の研究では、天体観測のための石だと解釈されるようになりました。この部屋には屋根がなかった考えられているし、水を張って天体観測をしたのではないかというのです。
コンドルの神殿 (Altar Condor)
地面に置かれた三角形の石が頭で、背後の岩が翼を表している。コンドルの嘴にあたる部分に溝が彫ってあり、生贄の生き血をためる工夫がしてあるのだという。コンドルの神殿の中に牢獄があるというのは良く分からないが、生贄を捧げ、その生き血を神であるコンドルに捧げることによって雨乞いやその年の豊作を祈ったのではないかというのは頷ける。コンドルの石の背後にコンドルの神殿と呼ばれる建物があります。これは独特のもので、自然の石の上に人工の石組が組み合わされています。コンドルの石が頭部だとすれば、背後の建物は羽を広げたコンドルの体にも見えます。 コンドルをモチーフとしているので、地上の世界と天井の世界を結びつける神聖な場所だったとも考えられています。
牢獄またはミイラ安置所 (Bastille or Mummy Morgue)
コンドルの神殿のすぐ上にある牢獄。罪人を囲い、両脇の穴の開いているところに手枷をして罪を償わせたとか。一説にはミイラの安置所であったとも言う。コンドルの神殿の上にあることから、牢獄というより、ミイラの安置所であり、しかるべきシャーマンのようなパワーを持った人物のミイラを安置し、マチュピチュの平和と安全を祈ったのではないかと思われる。内部は空洞ですが、そこには入れないようになっています。しかし、一説によると、内部の地下の一室には囚人を閉じ込めた牢獄があるとも言われています。そして、拷問をするために猛獣や毒蛇なども一緒に入れられたとのことです。
ワイナピチュ入口 (Entrada al Wayna Picchu)
時間に余裕のある人は一日目をマチュピチュの遺跡めぐりにし、麓のアグアスカリエンテスのホテルに一泊した後、再度マチュピチュに入場し、このワイナピチュ登山を目指す。1日400名、13:00までの入山規制があるので、朝早いうちに出かけることをお勧めする。マチュピチュとの標高差は約250mであるが、岩だらけの山道を約1時間かけて登る。山道はかなり足場が悪く、せまい石段を手足を使ってよじ登る場面もあり、かなり危険が伴うので体力に自身のある人にしか薦められない。
高山列車 (ビスタドーム) (Vista Dome)
クスコからマチュピチュの駅(アグアス・カリエンテス)を結ぶ高山列車・オートワゴンは観光用オートワゴンとローカル用オートワゴンがある。少々高いがアンデスの山々を見ながらクスコからマチュピチュに向かうには観光用のビスタドームが一番である。列車の天井はガラス張りとなっており、列車の天窓から雪を抱いたアンデスの山々を見上げることが出来る。帰りの列車では乗務員がモデルとなり、アルパカの毛で編んだセーターや帽子、ポンチョなどを着こなして搭乗する。無論社内販売が目的である。