●メリンダの概況
メリダ (Merida) は、メキシコにある都市で、ユカタン州の州都である。人口は830,732人(2010年)。近年、メリダの人口は周辺の村からの人口流入により上昇を続けており、市の一番外側を走る外周道路(anillo perferico)を越えて宅地造成がなされている。1542年、スペイン人入植者フランシスコ・デ・モンテーホによって都市が開かれた。中央広場(ソカロ)の南側には、今でもモンテーホの宮殿が残されており、現在は銀行として使われている。市の中心部はコロニアル様式の町並みが広がっている。中央広場北側にあるユカタン州庁舎の2階には先住民の生活、寓話、ユカタンの歴史的出来事をあしらった絵画が展示され、ユカタンの歴史を垣間見ることができるかもしれない。メリダの中心地である歴史地区(Centro Historico)は、主にスペイン人たちの居住区であった。そしてその周りにメスティソや先住民が住んでいた。数字的には圧倒的少数派であったスペイン人達は、多数派の先住民に対して執拗な警戒心を持ち、先住民の動向に対して神経質であったと言われている。
●メリンダのみどころ
ウシュマル (Uxmal)
ウシュマル (Uxmal) は、メキシコ、ユカタン州にある古典期後期から後古典期のマヤ文明の遺跡。メリダの南方78kmの地点にあり、カンペチェへ向かうメキシコの高速自動車国道261号線で、メリダから110kmの地点にある。ウシュマルという地名は、オシュ=マハアルと発音されたと考えられ、マヤ語の研究者の間でその由来について論争があるが、コロンブス到着以前の古いマヤ語の名称と考えられ、「三度にわたって建てられた町」という意味である。多くの観光客の目的地となるためにウシュマルの建造物の整備や復元にたくさんの労力が注がれる一方で、細々とであるが真摯な考古学的な発掘調査や研究がなされてきた。この都市の占地が行われた時代はよくわかっていないが、人口は、現時点では概算で2万5千人ほどと推定されている。今日目にすることのできる大多数の建造物は、だいたい紀元700年から1100年の間に建てられたものである。
チチェン・イッツァ(Chichen Itza)
チチェン・イッツァ(Chichen Itza)は1988年に世界遺産に登録されたメキシコのマヤ文明の遺跡。ユカタン半島のユカタン州州都メリダの東、約120Kmにある「後古典期マヤ」の遺跡で総面積は約1,5平方マイル。半島のつけ根の密林にあるティカルは「古典期マヤ」の遺跡。大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段である。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月365日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。
マヤパン (Mayapan)
マヤパン (Mayapan) は、メキシコ、ユカタン州にあるマヤ文明、後古典期の遺跡である。メリダの南東およそ40km、チチェン=イッツァの西方100kmに位置する。マヤパンは、1220年代後半から1440年代まで、ユカタン半島におけるマヤの政治的な首都であった。1221年、マヤでは、チチェン=イッツァのトルテカ・マヤ系の支配者に対して反乱が起こった。短期間の内戦の後、多くの有力な都市や貴族たちは、ユカタンに中心となる統治機構をつくろうと集まった。彼らは、チチェン=イッツァの支配者を倒した将軍フナク=セエルの根拠地の近くに新首都を造ることを決定した。新首都は防壁を築いた内部に建設され、「マヤの旗」を意味する「マヤパン」と名づけられた。マヤパンの王には、富裕で、チチェン=イッツァに対する反乱の中心となった古い家系のココム家の家長が選ばれた。しかし、他の貴族たちや地方の有力者層は、自分の家族の一員をマヤパンの政府に参画させた。
ジビルチャルトゥン (Dzibilchaltun)
ジビルチャルトゥンはユカタン半島北西の端、海岸からわずか20キロの場所にある、古典期後期から後古典期に栄えた都市だ。海抜わずか5メートルの、北部低地の中では最も乾燥した地域だ。水は都市の南西の角にあるセノーテ、Xlacahから得ていた。1956年から約10年ほどにわたって発掘調査が行われたが、とてもに規模の大きな都市であり、都市とその周辺はかつて非常に多くの居住者を抱えていたことがわかった。19平方キロ以上をカバーし、8000もの建物があったとみられている。都市の中央部の0.5平方キロ部分には、100近い石造建築物の跡がある。低い基壇の上に建つアーチ型の屋根をもつ建物や、段状のピラミッドなどがいくつかの広場の周辺に集まっている。中央部ではいくつものサクベ=舗装道が完備され、それぞれのエリアをつないでいた。ジビルチャルトゥンで最も印象的な建物は、「七つの人形の神殿」とよばれるものだ。
セレストゥン国立公園 (Celestun National Park)
Celestunのユカタン、メキシコの町です。メキシコ沿岸の湾すぐ北カンペチェの国境に北西隅に位置しています。町周辺は147,500エーカーである(600キロ2)国立自然公園でCelestunの生物圏保護区として知られている。フラミンゴの群れだけでなく、多くのサギや他の鳥類が湿地保護区にいる。この場所はマングローブの生態地域内に設定されており、200種類以上の鳥類が渡ってくる。セレストゥンの生態系があるため河口は塩水と淡水が交る合う地点でもある。ペリカンは大きなカナダからの白い鳥とメキシコの小さい灰色のものがいる。 セレストゥンはまた、絶滅の危機に瀕しているウミガメのための孵化場として知られています。野生動物の自然保護は、ウミガメを近代化から保護するためにプログラムが進行中である。
セノーテ(地底湖) (Cenote)
セノーテ (cenote) はユカタン半島の低平な石灰岩地帯に見られる陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸、泉のこと。泉の下層には大規模な鍾乳洞が水没していることが知られている。水面下では決して形成されることのない鍾乳洞が見られるのは、次のように説明されている。氷期の海水準低下時に形成された長大な地下川型洞窟系が後氷期の海面上昇にともない、内陸部では地下水位が上昇することによって洞窟系全体が水没した。このような洞窟の天井の一部が崩落して陥没ドリーネが生じた結果、セノーテができた。語源は、ユカテコ・マヤ語の「ゾノト」 (dzonot) から転化したと考えられている。ユカタン半島の北部低地では、川も湖もないため、主要な水源であった。ユカタン半島のセノーテは、チクシュルーブ・クレーターを埋めた石灰岩の層の中に形成されたものである。