講義内容


アマゾンに夢を託して

                              アマゾニア森林保護植林協会   会長 長坂 優
                              2008年の講演記録から

私はアマゾン在住、43年間の開拓百姓です。
地球の財産、人類の宝としてアマゾンが注目され、21世紀にのこされた最後の最大の大自然から生産される酸素(空気)は地球上の3分の1をまかない「地球の肺」とよばれています。
 この貴重な緑が年々破壊され、すでに全域(日本の13倍の面積、700万㎢)の16%が自力再生不能な荒廃地となり、今も毎分29ha(町歩)の速度で乱伐され、半分の木材は遠い祖国日本で利用され、皆様の豊かで、便利で、快適な生活を支え平和で安全な会社を守っています。
 当地在住日系開拓者が中心となり、アマゾニア森林保護植林協会(A・F・A)を設立し、17年前から植林による自然再生事業を行っています。又この実情を知ってもらい、自然の大切を理解いただき、食品、日用品等の天然資源を無駄なく有効に利用していただけたらと毎年訪日し、各地を廻り草の根講演、ボランティアを続けています。

 祖国日本は留守の間に大発展し、日本人の優秀な能力と才能が技術開発を進めすばらしく繁栄していましたが、完成された社会は、ゴミ問題を生み、工業化の便利な生活は自己矛盾を生み公害、汚染となり、快適な自由社会は精神力、忍耐力が失われ、青少年の犯罪増加が社会問題となっています。
 野生と共に大自然に生かされて生きてきた未熟な体験から、人間の原点を知り、自然の大切さを再確認し、自然と人間が共存共栄出来る社会こそ心身共に強い人間が育つ事を学び、日本がこのまま末永く発展し続ける為には強い日本人を育て、強い日本にする事だと自然界から指導された数々の教訓を話し、訴え続けています。

 私は愛知県生まれ、静岡県で育ちました。
 東京農業大学(農学拓殖学科)在学中、外務省海協連、日本学生海外移住連盟(67大学加盟)派遣の中南米調査団員として、1年間アマゾン研修を体験しました。戦後発の学生研修生として日系人から温かく迎えられ、広大な未開の大地は希望の大地と見え、夢の実現できる実力の社会、そして明るい国民性に男のロマンを感じ卒業と同時に25才で永住しました。
(1965年)
 自然の宝庫、生命の楽園と考えていた夢と希望の新天地は入植と同時に「緑の地獄」と化し、人跡未踏の大自然と戦う苦難の開拓生活が始まり、夢は実現の厳しさに破られました。
 入植地は町から360km離れた原始林の中、12名の青年が車も自転車さえ持たず、無一文で父から受け継いだ頭と母が作ってくれた身体が資本の裸身ひとつの入植でした。
与えられた土地は開拓道路の悪路をはさみ巾2000m奥行自由、実力次第でどこまでも自分の土地となる夢のような、狭い日本に農地は無く、自然が好きで農業を志した自分は大地主になった錯覚で開けばすべて自分の土地となる、大喜びは1日だけの極楽でした。
 原始林は50~60mの大木が緑の天井となり、緑のトンネルが延々と続く緑の地獄で1日の大木を倒しても樹高30m、その上に緑の空が広がり、昼でも暗い太陽の見えない生活が3ヶ月も続きました。朝日で起き、夕日で寝るまで、斧だけが頼りの開拓は身体を駆使し、やっと原生林に穴が空きスポットライトのように射し込んだ太陽光線を見た時、その明るさと暖かさに感動し、裸で飛び廻り全身に光をあびで感激し、自然の神に感謝しました。
 道路から水を求め小川まで「けもの道」を自力で開き、たった一人の生活は人間を見る事が出来ず、野生の動物だけを相手に4ヶ月が過ぎると、話す相手の居ないさみしさが頂点に達し、喜怒哀楽の感情を表せず、顔の表情を失い無口な人間となって思考能力もなくなります。
 動いている蟻、トカゲ、枝葉に語りかけハッと気付いて独り言の一人芝居を演じ、知っている限りの歌を大声で唄い、日本語の辞書を目で読まず一字一句声を出して読み、日本語を独り言でも喋っていれば正常で狂わず生活出来ると信じる異常さでした。
望郷の念益々つのり、帰りたくとも帰れない「特攻隊移住」は帰路の金を持たず、ただ耐え忍び我慢しながら黙々と働く毎日、自分自身と闘う開拓でした。

 当時のアマゾン移住は「ふんどし三本の移住」と言われ、下着三枚あれば開拓出来ると信じていました。確かに赤道直下、一年中常夏の気候があり衣類はいらず、雨露をしのぐ椰子の葉の屋根さえあればハンモックの寝具だけで生活出来、原始林の中には豊かな自然食が豊富にありました。野生の動物。川の魚、木の実、雑草まで口に入れ、にがくしびれる物は吐き出し、空腹でも生きている事が出来ました。
この時、人間は一人では生きられない事を知ると同時に、生命の尊さ、生きている喜び、食べられる幸せを教えられました。日本では想像も出来なかった人間の原点を知る体験でした。不十分な食生活でも自炊し、連日斧を振る重労働に日本からの体力は6ヶ月しかもたず、さらに人恋しさに男泣きする寂しさは、精神力さえ奪い、気力、体力が限界に達すると恐ろしい熱帯病の洗礼を受けるのです。

 入植前、戦前の古い移住者から二つの忠告をされました。
①原始林に入ったら、きれいな清水は飲んだら駄目です。きれいな水はたまり水だから、必ずアメーバ赤痢の菌がある。流れている小川の黄色の汚水を飲みなさい。
日本からの習慣で汚水を飲めず、入植当初からたまり水を飲んでいたのに病気にならず、気力、体力を失うと腹痛、血便、下痢が二週間も続き、10kgの体重を失いました。益々体力を失い心身共に疲れましたが、強い精神力、体力は病菌にも強く病は気からを知りました。


②「水を求めて小川の近くに掘立て小屋を建てる時、蚊の出来るだけ多い所に建てなさい。」

と言われたのに、蚊の多いところはヤブ蚊だけで少ない所にマラリア蚊の居る事を知らず、蚊の嫌いな私は、忠告を守らず恐ろしいマラリアにかかりました。
 マラリアには三日熱と四日熱があり、40度以上の高熱が三日間続き、一日39度以下に下がります。
これで治ればマラリアだけですが、翌日再度40度以上の熱が出ると黒水病の始まりです。認識不足の私は風邪と勘違い、寝ていれば治ると考えていました。一人の生活で何も食べず、看病人も居ず、42度の高熱にうなされ幻覚症状が表れます。体温より気温の方が低い為、寒さにガタガタ震え、ちょうど吹雪の中で一人寝ている状態です。
 しかも顔に当たる雪はみんな黒い雪です。「黒い雪」の正体は、アフリカ難民の子供達が生きたミイラと化し、栄養失調で死ぬ時全身にハエがたかっていますが、日頃見たことも無い大きなハエが原始林のどこから飛来するのか死臭を求めて顔にたかる感触が寒さで雪と間違い黒い雪を見るのです。意識も途絶え寒さだけが生きている証拠と分かる6日目小便をして一瞬正気に戻り、全身鳥肌の立つ恐ろしい物を見ます。うす黄色のはずの小水が黒々とコーヒー、醤油の色です。高熱で肝臓が溶けて出ると現地人は言いますが、翌日さらに恐ろしい物を見ます。液体ではなくてはいけない小水が蜂蜜のような糸を引く粘液状となり、4~5滴たらりと出るだけで、これが三回出ると終わりです。私はハンモックを黒く汚し意識不明のまま、たまたま尋ねて来た青年に発見され、町まで三日間の野宿で運ばれ、無一文の為、日系成功者の援助で入院出来、九死に一生を得ることが出来ました。さらに闘病中、出会った日系女性と結婚する幸運もありました。

 アマゾン日系移民開拓75年の歴史の中に三回マラリア大流行を経験し、一家全滅や親、兄弟、子供を失う悲惨な開拓史が残っていますが、ほとんどは黒水病による犠牲者です。
 この恐ろしいマラリアが私にとっての縁結びの神となったのは皮肉な事ですが、実際は野生動物が友となり、人間を見る機会の無い男が女性、しかも日系の女性と出会えば素材の注文等を出せるわけなく、きれいですばらしい娘に見えたのも不思議ではなく、人間は与えられた環境にのみ反応し、判断出来る動物だと学びました。
 甘い結婚生活も無く、一人で町に出て二人再度原始林に戻りました。最低のどん底生活でしたが話す相手が居るだけでも人間らしい生活を実感出来、とても幸せなひと時でした。
 ところがこれがさらなく地獄の入り口でした。

私は25歳の成人で移住した為、どうしたら子供が出来るかは知っていました。しかしどうやって生まれてくるかを東京農大では教えてくれませんでした。人並みに結婚し女房の腹がどんどん大きくなるのに、一度も病院で検診する金も手段も無く月日が過ぎました。出産予定日も知らず、ランプを消して寝ようとしたらある晩、女房が腹痛を訴えました。同じ物を食べている二人の生活なのに一人だけ腹痛になるのはおかしいと思いつつ、当時の開拓者常備薬「正露丸」を与えて寝てしまいました。夜中に起こされ、痛さがだんだんひどくなると言われても、さらに「正露丸」を与え朝となりました。
 朝日の中、痛さに泣いている姿を見て、これはひょっとするとお産かと気がついた時はすでに遅く、町の診療所(看護婦だけ常勤)に行ったもんお夕方となってしまい、とても間に合わず、陣痛と腹痛の区別も出来ぬ父親を持った長男・・・可哀想に「正露丸」と言う良薬で生まれてしまいました。しかし幸運にも母子共に健康で何事も無く、その日のうちに原始林に戻りました。この時、母の偉大さ、女性の強さを知りましたが人間の身体は「丈夫で長持ちし、安くて使いやすく出来ている事」が判ると同時に少々の事では病院のお世話になる必要がない事も知りました。

 アマゾン日本人開拓史の中には、夫が子供をとりあげ友人同士でお産を手伝い、村全体が家族の雰囲気があるのは、生命の誕生に立ち会う人間の義務となっているかも知れません。二人で行って、三人で帰った翌日から炊事をする女房、三日目から開拓に出ていました。
 雨期と乾期しかないアマゾンは、6月~9月に伐採し、10月~12月で山焼き、1月~3月に抜根と植え付け、一日遅れると雨が降り1年遅れる事もあり、毎日が勝負です。
 最初の日、赤子を開拓の現場に連れて行きましたが、わずか2時間で全身が赤い斑点で腫れ、泣き、蚊、ダニ、ブヨ、蟻、害虫、毒虫の洗礼を受けていました。屋根だけのハンモックに寝かせ、天井のない横木から哺乳瓶をゴムヒモで吊し口にくわえさせて開拓に出る毎日でした。食事に戻ると静かな原始林の中、赤子の泣き叫ぶ声だけ遠くから聞こえ、たれ流しの下半身、猿のおしりより赤くただれて、触るのもためらうほどのひどさ、親として情けなく、意思表示のできない子供。野生動物と同じで、泣き声だけがいつまえも耳に残り、誰か一人でも居てくれたら、このハンモックをゆすってくれる人が居てくれたらと、我が子がスヤスヤ寝ることだけを考えていました。

 この時、日本に古くから伝わる大家族制の同居家族がいかにすばらしいかを初めて理解出来ました。嫁姑問題、後継者問題等悩みはあっても、すべて相手が居るから生じる問題です。自然の中で代々受け継がれた伝統や制度、風習は必要にせまられて生まれたもの、時代の流れや文明の進歩で忘れられても、やはりすばらしいものだと痛感しました。
今日の日本は核家族となり、個人の自由、人権だけが尊重され、親子、兄弟の絆や隣組周囲との交流もうすくなり、自分一人の生活を守るだけの利己社会となっていますが、自然保護、環境保全をいくら唱えても人にやさしい人情社会にならなければ、家族制度の崩壊につながると心配です。自然の中で生きているのが人間だからです。

どんなにガンコな親父でも、口うるさいおふくろでもいい、誰か一人居てくれたらと考えても現実はどうにもならない人手不足、何か良い方法はないかと毎晩女房と話し合いました。人間、本当に困るとすばらしいアイディアが生まれます。人が居なくても赤子のハンモックが揺れる方法とは・・・。ハンモックに犬の鎖をしばりつけ、犬が動けばハンモックが揺れるとんでもないアイディア、しかも犬の巾に柵を作り、犬が前後にしか動けなくする工夫でハンモックは一定のリズムでゆれるようになりました。子守役は犬の担当となり、次々と誕生した三人の息子すべて犬が育ててくれました。一日中、犬と遊ぶ子供達、四つ足で這い回り、言葉もはっきりせず心配でしたが年と共に二本足で立って歩くようになり、学校に通い、日本語も話し、成人して家に帰り、全員が家業を継いでいます。子供時代野生児で育ち、心身共に強く、犬に感謝しています。

 長男6歳、次男4歳の時、貧乏どん底生活の我が家に初めての春が訪れました。
開拓耕作地約4ha(町歩)肥料も買えない経営で落ち葉を集めて堆肥を作り、スイカを栽培しました。これが大変良く出来、試乗値も高く、自分で建てた掘立小屋の三分の二をスイカの山が独占し、人間が遠慮して生活する大豊作。初めての単作大型栽培が大当たりと夜は夢を語り、これが売れたら女房は「裸、ハダシで遊ぶ子供達に服を買い靴をかはせ、三ヶ月分の食料品を買い貯えたい。」と笑顔。私は費用、農薬を買い、さらに開拓、大農場がほしいと計画していました。
出荷車を頼み、明日出荷と決めた日の夕方、畑から帰るといつもなら空き缶の車、棒切れの馬で遊んでいる子供達が手に山刀の農具を持ち遠くから大声で呼んでいました。
 何事かと子供達に手を引かれ家に入ってびっくり、スイカの山は山刀の穴だらけでした。悪気のない子供、無邪気に「面白いよ、これでブスッとやるとスイカがパリッと言って赤い血を出すんだ!!お父さんもやってごらん」とニコニコ顔で催促するありさま。天国から地獄に突き落とされ、頭に血が昇った私は思わず右手を振り上げ子供をたたこうとしました。とその時、一度も抵抗した事のない女房、私と子供の間に入り、両手を広げて仁王立ち、「たたいたら駄目!誰が悪いか考えてごらん、私たちの貧乏が悪いんです。オモチャを与えていれば、こんな事はせず、親の一人が付いていたら最初の一個で注意出来たはず」と泣きながら子供達を抱きしめていました。手は上げたもののどうすることも出来ず、悪いことは教えてあげなければと、意味も判らず泣いている子供の頭をなぜながら「スイカだって生きている。命があるんだから遊びで食物を傷つけ無駄にしては駄目だよ」と力無く諭しても無駄なのは、明日からの生活です。

 傷物のスイカでも「金にしなければ」と車に積み子供に留守番をさせ、女房とベレン市(河口にあるアマゾン最大都市現在人口160万人)の青空市場に行きました。傷物でなければ丸ごろ出荷し、今頃寝ていられるものをと愚痴を言いつつ、夜中からスイカの切り売りをしました。完熟スイカは甘く、赤くきれいな特級品、四つ切り、八つ切りで買いやすい手頃な値段、しかも言葉の十分でない日本人の若夫婦が生活の為、売りたい一心で大声で客を呼ぶ珍しさでアマゾン初のスイカの切り売りは大繁盛、午後三時にはすべて売れました。疲れと喜びで恥ずかしさもなく石畳に座り、セメントの空袋に入れた小銭の売上を数えてみました。何と!!丸ごと出荷する倍の金が入っていました!! この時、子供の無邪気ないたずらは親に何かを訴え、教えている事を知り、たたかなくて良かったと反省しました。子供のいたずらから生産直売の有利さが判り、切り売りの新発売、以後十年続けるきっかけとなりました。

 数々の感動と失敗を繰り返し、自然から教えられる開拓教室は心身共に強い子供に育ち、何事も自分が体験し実力で生きる力を与えてくれました。電気の無い生活に二十年、子供6歳になると火を扱わせ、カマドで朝のコーヒーを沸かし、7歳には釜で飯を炊き、9歳から馬に乗せ11歳で管理機を運転、13歳でトラクター、15歳でブルトーザーに車と子供の仕事が農場の発展を表しています。

 我が家に初めて電気が通った日、三時頃の明るいうちから家族で食卓を囲み、暗くなるのを待ち、やっと薄暗くなった時「お父さん、お願いします」の声でソケットのスイッチをカチッと入れ、裸電球1個が輝いた時、全員が立ち上がり感動してその明るさに感謝し拍手しながら飛び廻る子供の姿を今でもはっきりと覚えています。何も無い最低生活は小さな出来事でも大きな感動と喜びを与えてくれました。朝日で働き夕日で帰る開拓生活は夜しか子供を見れず、完全放任の自然教育、ヨチヨチ歩きの子供が包丁、ハサミ、刃物を使い手足を傷つけ自分の血を見て痛さを感じ、刃物の恐ろしさ怖さを知り、兄弟喧嘩でなぐり、なぐられ人の痛みも判り、土をなめて大地の味を知り、雑菌に強くなり、食物は十分無くても残さず食べて感謝することを学びました。不自由、不足だらけの生活でも野生児に育った子供達、声は大きく健康で自立できる強い人間に育ってくれ、自然のありがたさを再認識した人生でした。

 現在、祖国日本は少子化時代で長寿社会、二人が結婚するのに平均子供数・・・1.2人、結婚しない男女を加えると二人の大人に一人の子供しか生まれない家庭環境、反面、熟年、老人は寿命がのび長寿世界一となったものの、一人の子供を3~4人の大人が昼夜監視する管理社会です。
 初めて刃物を持てば危ないからと取り上げられ、切り傷も作らず自分の血を見る事もなく痛さも判らず、刃物を持つことさえ禁止され、使い方も恐ろしさ怖さを知らず、喧嘩したくても兄弟は居ず、家庭の宝として大事に甘やかされ、豊物、飽食の生活は消費が美徳となり、食物を残してもあたりまえで分け与える意味さえ理解出来ず、すべて自分の物で思うがままの軟弱児が多く、外で遊ばず大声も出さず、汗をかかず、立たず歩かず、読んで書く時代は去り見て聞く時代となり、一人で機具と遊ぶTVゲームに熱中し、死んだ人間がすぐ生き返る事を不思議と思わぬ画面中心の命の軽さ、熱があればすぐ薬、化学薬品の世話になり、腹痛なら病院と体力も抵抗力も無い肥満体、苦しくても我慢する事はせず、忍耐、訓練、精神力は死語となり3K(きつい、きけん、きたない)を嫌い、アルバイトのフリーターで生活出来る社会。

 両親から怒られず、先生から叩かれず、警察さえ怖くないのに一人では何も出来ず、集団で皆でやれば怖くない弱い者いじめ。差別は駄目と言いながら学問の有無、成績だけはしっかり残り人を判断する手段となり、個性、人間性は問われず、学力優秀が即いい子おりこうさんになる平均優等生社会、常識、規則、金にしばられ、前例主義の和の社会、金無ければ人間ではなく、貯蓄が生きがいで不況不況と騒いでいるのに食卓のメニュー変わらず、問題が起きれば学校、役所、政府の責任で保身と自己満足する日本人、一体祖国はどうなるのでしょうか。地図を見れば大海にキュウリを浮かべた小国日本。
 戦後の焼土と化した無の時代から、復興を目指し、地下資源も天然資源も少ない貧乏国が無限に広がる情報資源を利用し、日本人の優秀な能力、才能が人材資源として技術開発、工業化を進め発展し、わずか65年の間に勤勉な努力と忍耐で今の社会を築きました。このすばらしい日本がこのまま豊で、便利で快適な生活を保ち、平和で安全な社会を続ける為には、やはり強い日本人が必要であり貴重な人材資源が国を支えます。
 強い日本には強い日本人を増やすことが第一ですが、青壮年男子の精子が激減している現在、能力の無い男の増加は女性上位の社会となり国の衰退にもなります。私は三人の愚息等に乱費せず大切にしておけ、そのうち強く元気な精子を日本に輸出する時代が来る、それが海外雄飛した日本人の使命であると話しています。

 地球上の貧富の差は人口増加率にも影響し赤道から南半球の後進地域の開発途上国で爆発的に人口増加が見込まれ、食糧難が心配される反面、先進国の老開発国では人口減少の傾向です。貧困に苦しむ所で人口は増加し豊かなところで少子化が進むのは何故でしょうか。私自身の体験と農場従業員の生活を見ていて思い当たることがあります。それは電気です。電気の無い生活は男の社会で、男の仕事が家庭を守り生活を支えます。しかし人間の欲望は便利さ快適さを求め、電気の発明で人間社会が変わります。
 我が家もランプ、カマドの時代、水くみ薪割りから家を建て力仕事のすべて私の仕事でした。それが電気と共に文明の利器が入り、スイッチ一つで働く必要はなくなり、台所は電化され、電化、デンカでカカアデンカもついて来ました。夜眠れなくなれば楽しみも無く、寝る事と小作りに励んでいたのに男は夜も働けるようになり、女、子供はTV、ビデオ、ゲームと夢中になっています。どうしても日本の少子化が止まらず、人材資源の減少が国の衰退となる場合、全国の電力会社と相談し、週2日の停電日設定、又9時以降の停電対策を実施すれば必ず人口増加となり、強い日本人が強い日本をよみがえらせ、祖国日本の将来は安泰です。

 これは遅れた原始社会の話ではありません。ニューヨーク市の大停電の前例が証明しており、わずか一日の停電でその年の出生率が上昇しています。ここまで深く考えると、冗談になってしまいますが、多産多死の時代から多産少死となり、少産少死の時代を迎えている現在、日本の将来を考えると畑がどこの精子がだれのと言っている場合ではなく、量産多産で子作りに励む時代を迎えているのではないでしょうか。まだ間に合う方は是非頑張って日本を救って下さい。

 戦後の日本は不況、失業による経済低迷期を体験し、貧乏人の子沢山の中、長男優先の次三男対策もあり、沢山の日本人が海外移住し新天地で第二の人生開拓を試みました。初めての異国の大地で言葉も解らず、知人も居ず厳しい自然条件の中、苦難の道を歩きながらも定着し、日本人なら確実で大丈夫という信用を得たのです。当地アマゾンでも例外でなく日系人が活躍しています。その歴史が物語っています。
 今までアマゾンには世界の64ヶ国から移住者が入植していますが英国人は特産物ゴムの種子を持ち出し、当時の英領植民地東南アジアで栽培ゴムを始めた為、18世紀最大の景気だったアマゾン天然ゴムを衰退させました。又北米の自動車会社フォード社やタイヤの大企業、グッドイヤー、ピレーリ社が19世紀初頭、莫大な資本と技術を投入しゴム園を造成したのですが、すべて失敗し本国に逃げ帰っています。

 そんな頃日本からの移民が始まりました。1930年第一回移民が入植しています。白人から東洋の山猿、イエローモンキーと馬鹿にされた日本人は小さな身体で幾多の辛酸をなめ、苦労を重ね、病気と闘いながらも定着したのです。これは日本人の特性体質と精神力があったからです。白人の身体は大きくスマートで人間として偉大で立派に見えますが、あの白い身体は赤道直下の酷暑、熱風、高温、多湿の中では耐えられず、特に目の色が緑青色の人達は強烈な直射日光に適応できずサングラスが必要で長時間野外に居れません。
 私達日本人は黄色人種でこの黄色の身体は、どんな熱帯の暑さにも、寒帯の寒さにも耐える順応性と強さがあります。目の色が黒い日本人は赤道直下でサングラス無しで生活出来ます。しかも日本人には耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ大和魂があり、どんな苦難の道をも切り開く精神力があります。日本人として生まれただけで活躍の舞台は地球上どこにでもあり、世界中どこに行っても生活出来る体質と心を持っているのです。
 アマゾンに移住した日本人は恐ろしい熱帯病と闘いながら、金も機械も持たず、身体と精神力を頼りに勤勉で真面目な努力を重ね、アマゾンを世界に紹介する二つの特産物を作りました。それが胡椒(こしょう)とジュート麻です。
 胡椒(こしょう)はアマゾンにはなかった植物を臼井牧之介氏(映画監督 大島渚氏夫人 女優小山明子さんの父)が1933年移民監督官として移民船で来伯途中、シンガポールから持ち込み、生き残ったわずか2本が元となり今では世界の二大産地と言われるアマゾンの胡椒王国となっています。
 又、ジュート麻は日本人が移民する迄ブラジルの特産物、コーヒーを輸出する袋はすべて
インドから輸入していたのを高等拓殖訓練所(今の国士舘大学)出身の尾山良太郎氏が苦節10年失敗を重ねながら栽培を続け、たった1本の突然変異種を見つけ、12粒の種が源となり、ブラジルコーヒーはすべてアマゾン産、ジュート麻の袋で輸出される偉業を成し遂げました。ブラジル政府はこの業績をたたえ、日本人名「尾山種」の品種特許登録で今も保護しています。
 白人は特産物、アマゾン天然ゴムを衰退させ、大企業でさえ豊かな緑の大地を荒廃させ逃げ帰ったのに、日本人だけが定着し二大特産物を生みだし世界にアマゾンを紹介してくれたと地球上で一番対日感情の良い所がアマゾンだと言われ、今も2500家族15000人の日系人が頑張っています。
 そして今、アマゾンが世界から注目されています。地球と呼ばれている星は19世紀、自然中心の世界があり、人間は自然に生かされて生きていました。
21世紀、人類が大発展し産業革命により技術発展が進み、豊かで便利で快適な世の中となりましたが、反面、衣食住に利用される自然は破壊され、文明の発展は公害汚染とゴミ問題を発生させ、工業化による自己矛盾が各地で見られる昨今です。
 今世紀、21世紀は自然を見直し、人と自然が共存共栄出来る理想社会を建設を考え自然保護、環境保全を地球規模で努力しなければ、この星は破滅してしまいます。

 自然の宝庫、動植物の楽園、生命の王国と言われているアマゾンは地球上陸地面積5%、熱帯地域の35%を有し、総面積700万km²日本の13倍、南米大陸の4分の1、ブラジル国の半分の面積です。常夏の恵まれた気候により、植物優先の地帯とも言われ熱帯雨林は世界の65%を保有し、山の無い大盆地が緑の海となり、緑の地獄とも呼ばれ、地球の財産、人類の宝として原生林が延々と続き、この大自然から生産される空気は地球上の3分の1をまかない「地球の肺」として注目されています。
 しかし近年、この貴重な自然が文明の進歩と人間の欲望により、開発と言う名の下に乱伐され、すでに全体の16%は自力再生不能な荒廃地となって砂漠化が進み、今も毎分29ha(町歩)の速度で破壊が続けられています。

 世論が地球環境問題に注目し始めた頃、我々農業者の開拓がその元凶と非難されました。しかし日本から戦後の移民が入植し、日本が誇る世界一の農業技術(単位面積当たり収量世界一)と狭い農地を何代にも有効に永久利用する土地利用法を持ち込み、現地で行われていた移動式慣行焼畑農法をやめさせ、定着式立体混植農法を指導した為、今農業者による自然破壊はわずか2%です。
 破壊の98%は先進国の文明を維持する生活資材のための乱伐です。しかもその内の50%が祖国日本で利用され、皆様の豊かで便利な生活を支え、安全で平和な祖国を守っているのです。一般の方々はこの実情をご存じないと思いますが簡単で身近な例があるので紹介します。

 戦後の日本は復興が急速に進み、世界を代表する豊かな国となり、飽食、豊物の社会となりました。消費は美徳となり、使い捨ての時代を迎え経済力を使い世界最大の天然資源消費国になっています。世界で消費される木材の3分の1が日本で使われ、輸出入量では50%が日本で利用されています。(98年環境白書)牛乳パック一つ見ても、昔牛乳はビンで配達されていましたが、軽く便利なパック容器が開発されました。今日の全国消費量900万枚です。
パルプにして135屯、これを作るのにアマゾンの立木直径20cm、高さ18mの木が6000本必要になります。(日本環境サービス社調査)面積にして2ha(町歩)に相当し、この面積から精算される空気は88人が1年間生活出来る空気であり、木材を利用すれば33坪の家が38軒建てられる木です。日本の皆様が何も考えず、健康の為に飲む牛乳で毎日熱帯雨林が6000本乱伐され、年間32,120人分の空気を失い、中の見えない容器は食中毒の多発する原因にもなっています。日本は昔から紙と木の文化を伝承し、生活の中に紙、木、パルプで出来ている物が無数にあります。

 これはすべて自然界からの贈物でその恩恵を受け社会が成り立っているのです。自然は私達に住む大地と建物を提供し、太陽、水、母なる大地は命の源、空気と食物を与えてくれます。生きている動植物の命を食べ、いただくから必ず「いただきます」と両手を合わせて祈るのです。祈る感謝の言葉が「のりと」となりこの「のりと」に音符をつけ、音楽が生まれ、唄となって民謡が誕生し、笛、太鼓の楽器を鳴らし感謝の心を身体で表現して、踊りが生まれたと思います。日本全国各地で四季折々に開催されるお祭りは、自然界へのお礼と感謝を込め、豊作・大漁を願い、唄って踊るなつかしい風景ですが食事の「いただきます」から出発していると考えると面白くなります。

 自然は有限で乱伐、乱費すれば無くなってしまいます。生活の中で無理、無駄、無乱(ムラ)を無くし、天然資源を有効に使い、自然を大切に地球にやさしい心を持ってほしいと思います。さらに自然は人間の心をも正常にしてくれる偉大な力のある、貴重な体験をさせてもらいました。私は今迄127名の研修生を預かりましたが、他に16名の問題児とも一緒に生活しました。(1~12ヶ月)麻薬常習者、警察のお世話になった強盗万引きの青年、登校拒否、家庭内暴力の少年、引きこもり、無気力な若者、親の手に負えず学校に見放され、周囲から相手にしてもらえず、落ちこぼれとして社会から離縁された子供達です。

 この青少年達に共通しているのは、何も目的が無く、働かず、自由な生活で甘やかされ、時間の制約も無く、親も先生も、警察さえも怖くなく、何も恐ろしい物が無い、一人天下の個人主義、協調性の薄い利己主義です。家庭環境の影響か、親、兄弟も相手にしてくれず、反抗し自分の城(部屋)で君主となり、学校も先生も注意だけで深入りせず、仲間も居ず、勉学に熱中する子供達から疎外され、寂しさからいじめで自己満足、注目を集める問題を起こしても話せば解ると両親、先生がなだめる社会、善悪は理解していても、その場の判断が出来ず、痛さも恐れも怖さも知らず、一時の感情で、きれたらブレーキがきかず、どこまでやったらどうなるか制限も、団体生活も出来ぬ若者達、一体だれ場悪いのでしょうか。青少年個人の責任と攻める前に、進みすぎた社会を見直すべきではないでしょうか。

 大自然しかないアマゾンでこんな青少年が住めるのかと疑うでしょうが、どの子も最初は日本と同じ生活をしようと努力します。そこでまず時間で生活する習慣を教えます。単純労働で汗を流し、疲れと空腹感を持たせ、粗末な食卓でも空腹が調味料となり、定時食事のうまさを知ります。我が子と一緒に寝食を共にさせ、異なる環境、簡単には帰れない辺境地、言葉も解らぬ不安を解消させ、どんな小さな事でも叱らずほめてやります。物事は考え方一つでどちらにもなります。ブラジルの風習に子供が成長しても母親が抱きしめる習慣があります。女房が我が子と同様に起床時と就眠前抱きしめてやります。最初嫌がっていた子供達、慣れてくるととてもいい顔になり、母の胸に抱かれた記憶がよみがえり、甘える感情がプラスに転じやさしい心になります。金や物を与え可愛がるより、文句を言い叱りつけるより、この一回の抱擁が何よりも価値ある事を母親は知るべきです。
これを喜び、悲しみ、苦しみの度に行えば胸の内を話してくれます。生活に慣れ、朝夕の挨拶を大声で交わし、仏壇に感謝の合掌が出来るとあとは心の問題です。

 私の土地に原始林同様の再生林が残っています。30m~50mの大木が緑のトンネルとなり延々と続くジャングルです。この中に子供を連れて行きます。奥に進むと迷ったら大変と汗をかき必死でついて来ます。30分も歩けば方向感覚は無くなり東西南北も解らず、自然の偉大さを知ります。私は太陽の明るさから方向が判り、同じ所を廻っているのですが本人は大変です。そこで私が隠れます。と青年、急に真剣な表情になり、私を探し回り、大声で名前を呼び始めます。それでも出て行かないと、日本の延長でバカヤローを連発し知る限りの悪態でまだ虚勢を張り自己主張をします。静かな原始林、自分の声をこだまに聞くだけと判ると、だんだん悲しい顔になり、16~21歳の青少年がこんなになるかと思う程の大声で泣き始めます。この時、私が入植時で味わった恐怖感を一瞬で体験し、出れなかったらどうしよう、死んでしまうのではないかと生まれて初めて考えるのです。
 しかも日本では怖い物が何もなかった青少年がどうする事も出来ず、自分の力の弱さ、小ささを知り、偉大な自然の前では手も足も出ない、動くことさえ出来ぬ弱い人間だと学ぶのです。大声で泣き叫び恥も外聞も無く助けを求め30分、私と別れた所に戻り、座り込み顔の表情が変わってきます。何とか生きようと決意するのです。この時背後から名前を呼んでやります。泣きながら振り向いた青年、一段と声が大きくなり走り寄り、すごい勢いで抱きついてきます。この時の表情は満面に浮かべ、空港で引き受けた時の陰険な目つきは消え、素直でやさしい普通の子供の表情に戻っています。どんな問題児の不良少年でも心の底にはやさしさ、素直さを持っており、この日を境に親にも話さなかった悩み、悪行の数々を告白してくれ、明るく真面目な人間になっています。

 ちょっとしたきっかけ、環境に左右され、道を誤った青少年達、前例主義の日本では一度の失敗を修復することが難しく、社会から嫌われ追放されていますが、この子供達には勇気、実行力が普通以上にあり、一度更生するとすばらしい人間となります。預かりした青少年達、全員立派な社会人となり、強い人間になってくれた事が今の私の心の支えであり、活力剤となっています。
 私が治したのではなく自然が治してくれた、とても貴重な体験でした。植林活動が一段落し、広大な荒廃地が緑の大地に再生される時、次の計画として人が自然から学ぶ自然学校、心をも治療する心身の開拓村を建設しようと考えています。
自然が命を与えてくれ、自然に生かされている人類、自然界から学び教えられる事が多く、自然が人を育て、人間を成長させてくれるのです。

 当協会、アマゾン森林保護植林協会(A.F.A)は植林により自然再生を目的に活動していますが、「地球人一人一本植林運動」で世界中の人々に一人一本の植林をお願いし、自分の空気は自分の木で確保していただく運動を勧めています。日系開拓者が集い勉強会から出発した現地の弱小協会、18年前協会設立時に三本の柱を決め、あせらず、あわてず、あきらめず、ゆっくりのんびりでもアマゾンの大河の如く、とどまる事無く続けて来ました。

その3本柱とは
①植林により自然再生活動と関連事業
(オーナー制植林と循環型植林)
②アマゾンの現状紹介と自然の大切さを訴える草の根運動
(草の根講演活動)
③地球の将来を背負う青少年の野生児育成
自然学校と心身の開拓村開設

 当初、現地会員だけで細々と植林をしていましたが、年々自然破壊の速度が速くなり、オーナー制を導入し、官公庁、企業にお願いし永久植林団地造成を企画しました。 しかし3年間1本も植林協力を得る事が出来ず、草の根講演会を通して個人に訴える「地球人一人一本植林運動」に変更し各地を尋ね直接お話しする事にしました。
長い間留守していた祖国日本は大発展し、すべてが大きく変わっていましたが、夢にまで見たふる里の自然は、そのままで美しい四季があり、富士山は昔のままの姿で同じ所にありました。

 そして何よりもうれしかったのは、日本人の古き良き時代そのままの温かき心が残っていました。
 各地でボランティアの協力いただく皆様に支えられ、協会支援支部「アマゾン会」が誕生し31県に活動の輪が広がっています。又、1998年には国際ソロプチミスト日本財団より国際環境奉仕団大賞を賜り、2000年からは浜松の(株)ムトウ社の指導、支援により日本環境財団からも賛助いただいています。

 自分の木を植えに来る方、又ご自分の木を見て触って確かめに来る方、混成の植林ツアーも毎年企画され、第15回目を迎えています。既に425名の方々が来訪されています。(2008年5月現在)
広大なアマゾンの大自然の中では、1本の植林苗木は小さく弱い力しかなく、まだ砂漠に針を立てた程度の活動ですが、一人一本でも世界の人々の木が集えば林となって森を造り、将来樹海にまで発展する事を信じ今年も植林に熱中しています。

 これがきっかけとなり、世界の人々が自然の大切さを再確認し地球にやさしい心を持ち、天然資源を無駄なく活用し、自然に感謝してくれたらアマゾンの一隅を照らして天下の四方を照らす運動になると現地会員一同頑張っております。貴重な「地球の肺」を守り、育てる植林に専念する覚悟ですので、今後ともご指導ご協力の程よろしくお願い致します。
ご協力いただく皆様、温かき御支援、御賛同いただく皆様、そして皆様の木を現地で大切に育て管理してくれている会員の皆様に心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。